HISTORY
沿革
社名の由来
東大阪市は、布施、河内、枚岡三市が合併した昭和42年(1967)以後の名称であり、
現在、”布施”は近鉄線布施駅と一部官庁に名を残すのみとなったが、社名は工場、本社の所在地、旧布施市にちなむものである。
中小企業の地域を脱し、内外の人心を一新し、さらに一段の飛躍を期するため、社名を”布施螺子工業株式会社”から”株式会社フセラシ”に変更した。
これは、”螺子”の用語が難解であること等によるものであるが、伝統である”ふせらし”の呼称は、そのままに残したのであった。
また、「螺子(らし)」は「ねじ」を漢字で表したものです。
1933
大阪市天王寺に嶋田製作所を創立
大阪市阿倍野区天王寺町の自宅の土間に手切り機械3台を設置、嶋田製作所の看板を掲げた。従業員は3名でささやかに発足
1943
(有)布施螺子工業所を東大阪市(現本社所在地)に設立
1943年10月に有限会社組織とし工場を布施市(現東大阪市:現本社所在地)に移し、社名を布施螺子工業所と改称、本拠として発展
1939~1945
第二次世界大戦
1959
大量生産方式に着手
設備近代化計画を策定するに当たり、重点項目としてナットホーマーを導入。3台の冷間ホーマー機を一斉に稼働させナットホーマー専門工場として大量生産方式に着手
1960~1970年代
日本の高度経済成長期
1964
東京オリンピック開催
1965
群馬工場を開設
1965年3月 群馬県新田町(現群馬県太田市)に敷地16,481㎡(4,994坪)に群馬工場を設立。従業員28名
1970年代
排ガス規制強化
1973
第一次オイルショック
1973
(株)九州布施螺子株式会社を設立
1973年1月 宇佐市大字蜷木(現所在地)に敷地40,000㎡に輸出専門工場として九州布施螺子株式会社を設立。従業員66名
1976
社名を(株)フセラシ(株)九州フセラシに変更
さらなる一段の飛躍を期するため、社名を“布施螺子”から“株式会社フセラシ”、“九州布施螺子”から“株式会社九州フセラシ”に変更。パーツメーカーとして変換を図る
1980年代
日米通商摩擦
1988
三重工場を開設
1988年 三重県菰野町の千草工業団地に工場と倉庫を併設した三重工場を設立
1990年代
自動車貿易摩擦
1990
東西ドイツが統一
1995
阪神・淡路大震災
1996
F.I.T.INC.を設立
1996年 米国オハイオ州にFuserashi International Technology Inc設立
2000
資本金を3億30万円とする
2001
アメリカ同時多発テロが発生
2004
寧波長華布施螺子有限公司を合弁で設立
2004年 中国浙江省に寧波長華布施螺子有限公司を設立
2008
FUSERASHI(THAILAND)Co.,Ltd.設立
2008年 タイ・ラヨーン県にFUSERASHI(THAILAND)を設立
2008
リーマンショック
2011
東日本大震災
2011
タイ大洪水
2011
富士営業所開所
横浜営業所開所
2013
寧波長華布施螺子有限公司 新メッキ工場完成 第3ライン増設
第3ライン目となる新メッキ工場が完成現地生産がスタートしたホイールナットを生産
2015
パリ協定採択
2015
群馬工場管理棟完成
第4期に亘る群馬工場新建屋建設工事、管理棟が完成
2017
九州営業所
新配送センター完成
2019
九州フセラシ
新梱包棟増設